【 概 要 】−永平寺(福井県)の創建は寛元元年、越前国志比庄の領主波多野義重の招きにより道元禅師が吉峰寺を開山、翌寛元2年に後の永平寺である大佛寺を開山します。寛文4年に寺号を「永久の和平(中国に始めて仏教が伝来した年号である永平にちなんだ。)」の意味を込めて吉祥山永平寺に改め、順次境内が整備されていきました。5世義雲は中興の祖と言われる人物で荒廃しかけた永平寺の境内を再整備しましたが、暦応3年永平寺は南北朝の戦火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失します。その後、永平寺は再建され応永5年に後円融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額・綸旨を受け、越前守護となった朝倉氏の庇護になるなど再度寺運が隆盛し、曹洞宗の大本山として大きな影響力を持ちました。文明5年の応仁の乱の兵火で永平寺は再度焼失し、勅書も焼失しましたが天文8年後奈良天皇から「日本曹洞第一出世道場」、天正19年後陽成天皇から「日本曹洞の本寺並びに出世道場」の諭旨を賜りました。江戸時代までは永平寺の他、總持寺(当時の總持寺祖院:石川県輪島市)、正法寺(岩手県奥州市)、大慈寺(熊本県熊本市)が本山を称していましたが元和元年に江戸幕府より法度が出され永平寺と総持寺(神奈川県横浜市)が曹洞宗の大本山に認定されました。江戸時代は福井藩から庇護され度々寺領の加増を受けましたが、火災も多く正徳4年と天明6年の火災では多くの堂宇が焼失しています。
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