福井県・大野市・朝倉義景墓

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【 概 要 】−天正元年(1573)、織田信長の一乗谷の侵攻により朝倉義景は一族である朝倉景鏡が守る大野の地に落ち延び洞雲寺で再起を図ろうとしました。しかし、景鏡は義景を六坊賢松寺に誘い出すと自軍の軍勢で境内を取り囲みます。事態を把握した義景は、「七転八倒 四十年中 無他無目 四大本空」の辞世の句を残して自刃、景鏡は義景の首を信長に差出降伏が認められ大野郡の所領が安堵されました。現在の墓(五輪塔)は寛政12年(1800)朝倉家の後裔とされる花倉家、松田与惣左衛門が曹源寺に建立し、文政5年(1822)にこの地に移転したものです。義景墓の周りには殉死した高橋景倍と鳥居景近、生母の高徳院、室の祥順院、次男の愛王丸の墓があり周囲が公園として整備されています。
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