柳迺神社 |
概要: 創建は明治15年、大野藩7代藩主土井利忠を祭霊を勧請したのが始まり。利忠は幕末の名君と呼ばれ、政策を次々と行い大野藩を立て直した言われています。現在も大野市の産業、商業の祖として信仰されています。 |
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平成大野屋 |
概要: 洋館は昭和12年に建てられたもので木造2階建て、切妻、桟瓦葺、外壁は下見板張り塗装仕上げ、軒下周りは土壁左官仕上げ。土蔵は明治20年頃大七銀行の担保蔵として建てられたもので国登録有形文化財に登録。 |
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善導寺 |
概要: 創建は永禄元年に開かれたのが始まり。江戸時代に入ると、大野藩主土井家の菩提寺として庇護され寺運が隆盛し、寛政4年に再建された本堂の背後には藩主が利用した「御成りの間」を設けるなど格式の高さが感じられます。
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朝倉義景墓 |
概要: 天正元年、織田信長の一乗谷の侵攻により朝倉義景は一族である朝倉景鏡が守る大野の地に落ち延び洞雲寺で再起を図ろうとしましたが裏切られ自刃、寛政12年、朝倉家の後裔とされる花倉家、松田家が墓を建立しました。
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大野・町並み |
概要: 大野地は戦国時代に織田信長の家臣金森長近が当地を与えられ、居城である大野城を築き、城下町として町割されたのが基本となっています。江戸時代初期には大野藩の藩都として、家臣や商人、社寺仏閣が集まりました。 |
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