福井県・敦賀市・来迎寺

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敦賀市・来迎寺
【 概 要 】−来迎寺は室町時代初期に国阿上人によって開かれた寺院で、当地域の時宗の中心的な寺院として布教の拠点となり信仰を広げました。国阿上人は南北朝時代から室町時代中期にかけての時宗の高僧で、熊野の山岳などで修行を重ね京都の正法寺の創建や双林寺の再興に尽力し時宗国阿派・霊山派の祖としても知られています。安土桃山時代には豊臣秀吉の家臣で敦賀城の城主大谷吉継から庇護され敦賀城の腰高障子を預けられています。江戸時代には南北二町、東西一町半が境内として来迎寺村と呼ばれ独立した存在で大谷吉継が健在だった頃は30余軒程の門前町もあったようです。江戸時代末期には水戸藩(本城・水戸城)の脱藩浪士が主体となる水戸天狗党が越前国まで進軍したものの、幕府に投降し来迎寺の境内で353人が斬首され、明治維新後に墓碑が建立されています。水戸天狗党の墓碑は国指定史跡に指定されています。
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来迎寺(敦賀市):周辺の見所

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