【 概 要 】−羽賀寺の創建は霊亀2年(716)、元正天皇の勅願により行基が開いたのが始まりと伝えられています。その際、境内に1羽の鳳凰が舞い降り羽根を落としたという故事から羽賀寺の寺号が与えられました。天暦元年(947)に洪水で大破すると浄蔵(雲居寺の僧)が再興、朝廷や為政者からも庇護され建久年間(1190〜99)には源頼朝が三重塔を寄進、さらに元弘の乱(1331〜33)の兵火で焼失すると当時の若狭守護職である細川氏清が延文4年(1359)に再建しています。応永5年(1398)に焼失すると後花園天皇は永享8年(1436)に当時、京役の任にあたり津軽6郡を支配し十三湊(青森県五所川原市十三湖)を本拠としていた安東盛季、康季父子に再建の勅命を下し文安4年(1447)に落成、安東氏は「日之本将軍」の称号を授けています。その後も寺運が隆盛し最盛期には七堂伽藍が並び24坊を擁する大寺となり寛永2年(1625)には3代将軍徳川家光により山門や客殿が造営され大きな影響力を持ちました。現在の本堂は安東氏が文安4年(1447)に再建した唯一の遺構で入母屋、桧皮葺、桁行5間、梁間6間、室町時代中期の密教寺院本堂建築の遺構として大変貴重な建物として昭和37年に国指定重要文化財に指定されています。北陸観音霊場第5番礼所。北陸三十六不動霊場第36番礼所。
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