福井県・小浜市・若狭彦神社

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【 概 要 】−若狭彦神社(福井県小浜市)は若狭国一宮で奈良時代の和銅7年(714)に白石の地(現在の白石神社の境内)に遠敷明神が現れ、その地に祠を設けて祭りました。当地は元々「小丹生」と呼ばれ水銀の産地だったとされ、元明天皇の御代の和銅6年(713)に朝廷の官命により、地名が「遠敷」に変更になった事に伴い、産土神として勧請されたと思われます。同時に別当寺院として和氏一族の赤麿が神願寺(後の神宮寺)を創建している事から、この時期に支配体制が確立したのかもしれません。翌年の霊亀元年(715)により里に近く参拝しやすい現在地に遷座し、境内や社殿などが整備されています。その後は朝廷内で若狭彦神社が若狭国内で最高位としての格式を与え、それに見合う神階を授けています。鎌倉時代までは若狭彦神社が祭祀の中心で為政者や領主からの信仰が特に篤かったとされますが、室町時代に入ると。養老5年(721)に分祀し若狭国二宮、下社に格付けされた若狭姫神社の門前町が市場町として大きく発展し、時の領主と神官が強く結びついた為次第に若狭姫神社に信仰の中心が移されました(現在では両社共に一宮とされます)。祭神である若狭彦大神(彦火火出見尊)は「古事記」や「日本書紀」などに通称「山彦」として登場し、所謂「海彦山彦」神話の一翼を担う神様で日子番能邇邇藝命と木花之佐久夜毘売との御子神とされます(日子番能邇邇藝命が一夜の契りで木花之佐久夜毘売が妊娠したのを疑った為、木花之佐久夜毘売が自ら産屋に火を放ち、その中で出産したと記載されています)。境内は静寂で古社の雰囲気が感じられ、本殿、随神門、神門の古建築物が福井県指定有形文化財に指定されています。
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若狭彦神社(小浜市):周辺の見所

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