【 概 要 】−大虫神社(越前市)は太古の昔、南越地方を開発した天津日高彦火火出見命の御霊を鬼ヶ嶽の山頂に奉斎し創建された神社です。さらに時代が下がったある年、イナゴが異常発生した事で農作物が食い荒らされ国の根幹が揺るぐ事態になりました。垂仁天皇は当社にイナゴ退散の祈願を行うと不思議な事にイナゴの姿が消え、国内が安寧となった為、垂仁天皇は社号を「大虫神社」に改め、社殿を鬼ヶ嶽の山頂から現在地に遷し篤く奉斎したと伝えられています。大虫神社の格式は高く平安時代に成立した「続日本紀」や「延喜式神名帳」にも大虫神社の名が記載され、歴代領主である新田氏、足利氏、斯波氏、朝倉氏などから庇護を受け広大な境内には様々な社殿、堂宇が造営されました。しかし、戦国時代に織田家の家臣である柴田勝家が当地域に侵攻した際、その兵火により社殿が焼失し荒廃しました。しかし、豊臣秀吉により柴田勝家は掃討され柴田家は没落、代わって秀吉の尽力により大虫神社の再興が図られます。その後、式内社とされる小虫神社と雨夜神社、雷神社を大虫神社に合祀しさらに信仰を広げました。江戸時代に入ると福井藩(本城:福井城・藩主:松平家)の藩主に就任した松平越前守秀康の命により本多伊豆守が社殿の修復が行われ、その後も歴代藩主が篤く奉斎しています。大虫神社の参道に設けられた宮橋は国登録有形文化財に登録、木造男神巫像2躯は国指定重要文化財に指定されています。
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