【 概 要 】−大瀧神社は推古天皇の時代に大伴連大瀧によって創建された古社です。元々は権現山の山頂に境内を構え、山自体を御神体として信仰の対象とし、現在でも山頂付近には奥之院として社殿が設けられています。現在でも大瀧神社・岡太神社の春祭り(福井県指定無形民俗文化財)では、麓の社殿から山頂の奥之院まで神輿渡御が行われ、奥之院で奉迎祭を執行するという神事が伝えられています。養老3年には白山(日本三大霊地)を開山した修験道の高僧泰澄大師によって別当寺院となる大瀧寺を創建し、本地仏となる十一面観世音菩薩を祭りました。中世に入ると当地域の白山信仰の中心となり、多くの修験僧を擁する大寺院(神社)として発展しました(越前国の白山信仰の拠点としては平泉寺、現在の平泉寺白山神社に次ぐ規模だったとされます)。南北朝時代から戦国時代にかけては度々戦禍に巻き込まれ社殿、堂宇が焼失しましたが、歴代領主が庇護した事でその都度再建され、広大な社領の寄進や、社宝の奉納などが随時行われした。古くから神仏習合し「小白山大瀧六所権現児御前」などと称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色は一掃され、「大瀧神社」に社号を改め、県社に列しました。摂社である岡太神社は雄略天皇の時代に創建された古社で、創建年では大瀧神社を上回ります。格式も高く平安時代の延長5年(927)に成立した延喜式神名帳では式内社として記載されていました。祭神である川上御前(岡太大神)は紙を司る神である事から、当地域の主産業である和紙生産(越前和紙)の関係者から守護神として信仰されました。
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